ケン幸田の世事・雑学閑談(千思万考)
第百三十一話:「草木いやおい茂る季・弥生」ケン幸田
2022/03/02
三月を「弥生」というのは、草は萌え、木は芽吹き、百花繚乱して、鳥の声の高まる季節を
表現した古語「いやおい」が約転化した別称で、つややかな季語でもあります。
上野寛永寺は三味線・太鼓などで騒ぐことが禁止されたため、にぎやかに花見をしたい
江戸っ子たちは、向島へと足を運びました。
 
神風の弥生をふかし門の竹      向井去来
正月のつき餅ほづす弥生かな     森川許六
濃かに弥生の雲の流れけり      夏目漱石
降りつづく弥生半となりにけり    高浜虚子
 
江戸後期の向島は四季折々の風物詩が繰り広げられた風光明媚な場所で、
通人に好まれ文人墨客が集う、おしゃれで粋な所だったようです。
地理的に浅草寺に近いこと、田畑が多く景勝地であったこと、現在にも続く有名な寺社が
いくつもあったこと、加えて隅田川が流れる向こう岸の土手は墨堤と呼ばれ、
八代将軍による本格的な桜の植樹が行われ、花見の環境も整っていたことが特筆されます。
今もこの地は趣のある散策コースで、言問橋を渡って左に川沿いを歩けば、桜橋にかけて、
ずっと両岸に桜並木が続く名所となっています。
 
草枕まことの花見しても来よ     松尾芭蕉
さくら狩り美人の腹や減却す     与謝蕪村
何事ぞ花見る人の長刀        向井去来
 
桜橋の先には長命寺があり、そこには、十返舎一九の
「この世をば どりゃお暇に線香の 煙とともに はい左様なら」の辞世の歌碑が建てられており、
近接する弘福寺の立派な山門を入ったところにある一対の石像「咳の爺婆」を拝むと
咳が止まるとされるので、今次のコロナ禍で予防に多くの人々が訪れたとの報道もありました。
近くの三囲神社は、「三囲」が「三井」に通じることから、三井呉服店(後の三越百貨店)との
関係が深く、多大の献金で改修したことから、社殿脇の石に三越マークが刻まれております。
ちょっと足を延ばせば、白髭神社や、当時、亀戸の「梅屋敷」に対して「新梅屋敷」と呼ばれた
向島百花園もあります。
向島と言えば、芸者衆を思い浮かべますが、関東大震災以降に形成された花街の伝統は、
時代と共に変化して今日にも引き継がれているようです。
当時の風俗は、この地が舞台となった永井荷風の「墨東奇譚」に詳しく書き残されています。
 
行く人の咳こぼしつつ遠ざかる    高浜虚子
咳き込むやこれが持薬のみすず飴   水原秋櫻子
 
 
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