ケン幸田の世事・雑学閑談(千思万考)
第百二十六話:「”身にしむ”は“物の哀れ”に由来」
2021/11/05

「物の哀れ」と言えば、平安時代の貴族生活の中心をなす理念で、本居宣長によれば、
「もの」すなわち対象客観と「あはれ」すなわち感情主観の一致する所に生ずる調和的情念の
世界だということですが、広辞苑には「人生の機微や、はかなさなどに触れた時に感ずる、
しみじみとした情趣」と出ています。
その名残なのかもしれませんが、俳句の季語に感傷的で主観的な言葉で「身にしむ」があります。
それは、身体の奥深く感じるということですから言葉自体に季節感はないはずですが、
元々は秋風が木の葉を散らし、日ごとに冷気を加えてゆく万物衰退の季節の蕭然とした
もの悲しさを強調した文学的表現だったようです。
 
    身にしむや亡妻の櫛を閨に踏む     与謝蕪村
には、何かぞっとするような、深秋の寂寥感を禁じえません。夏を盛りとすれば、
秋は盛りを過ぎた「物の哀れ」であり、冬を死とすれば、死に近づいた「物の哀れ」が、
「身にしむ」いう言葉を季語として定着させていったようです。
 
    野ざらしを心に風のしむ身かな     松尾芭蕉
    身にしむや宵暁の舟じめり       榎本其角
    深秋といふことのあり人もまた     高浜虚子
 
中世から近世にかけて、紳士淑女の最高の教養としての「物の哀れ」を知ることが、
やがて晩秋の哀れを感傷的に美的傾斜して、複雑なニュアンスを帯びながらウェットの極致の
心情が吐露されたのが「身にしむ」と言う言葉の含蓄だろうかと思われます。特に俳句の世界では、
秋の冷気を主調として、より対照的、即物的、感覚的に受け取られ、時代が進むとともに、
より客観化して詠嘆されるようになったのではないでしょうか。
 
    佇めば身にしむ水のひかりかな     久保田万太郎
    身にしむやほろりとさめし庭の風    室生犀星
    さり気なく聞いて身にしむ話かな    富安風生
    身に沁みて槐の下の月青し       加藤楸邨 
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