ケン幸田の世事・雑学閑談(千思万考)
第百十三話:「出替わり奉公人と行商人」
2020/03/01
江戸時代、雇われて働くことを「奉公する」と言い、元来は主君に尽くす家来の勤務関係のことで
終身奉公や多年季奉公を意味しておりましたが、後に農工商の庶民の間でも短期奉公することが普及し、
一年又は半年の雇用期間を定めた者(主として農家や商家の家業・家事雑用を請け負った
作男・下男や女中・下女)を「出替わり奉公人」又は「出代り奉公人」と呼ぶようになりました。
京阪地域の商家や、江戸でも幕府の定めで、3月5日と9月5日を出替わり日とするのが
一般的でしたが、農事や地方ごとの都合で、2が2日と8月2日を当てる例もありました。
勿論現代にもお馴染みの、月極めパートや日雇いと言った超短期の奉公人も居たようです。
 
出替りや幼心にものあはれ 服部嵐雪
出代や春さめざめと古葛籠(ふるつづら) 与謝蕪村
出代の市にさらすや五十顔 小林一茶
出代や尾の道船を聞き合せ 正岡子規
 
年季明けの出稼ぎ奉公人は、都市の治安維持のため、無職のままで居座ることが
許されなかったので、原則として地方へ帰省していったのですが、中には新たな仕事について
都会に居ついた者もいました。
その代表例が所謂「行商人」で「富山の薬売り」のような、地方名産品を売り歩く背負い業者も
居ましたが、多くは近郊の農家から農産物や青物を仕入れるか、漁村から魚介類を仕入れて、
籠や樽を天秤棒で担いで売り歩く「棒手振り(ぼてふり)」と呼ばれた商売が流行しました。
中でも人気が高かったのは、お手軽な食材だったシジミ、アサリ、ハマグリなどが安くて
需要も多かったので、殻を取った「むきみ」にして一升二十文ぐらい
(今の感覚では四百円から五百円程度)で売り歩く「むきみ売り」が闊歩しました。
 
むき蜆石山の桜ちりにけり 与謝蕪村
すり鉢に薄紫の蜆かな 正岡子規
あさり貝むかしの剣うらさびぬ 宝井其角
陽炎にばっかり口を蜊(あさり)かな 小林一茶
蛤や塩干に見えぬ沖の石 井原西鶴
蛤の荷よりしぼるるうしほかな 正岡子規
 
尤も、「棒手振り」の行商をまたずとも、出替わりのあわただしさが一息つく頃の江戸の長屋の一行は、
花見だけでなく、「潮干狩り」も楽しみ、江戸湾では、蜆、蜊、蛤がザクザク採れたので
食材まで入手できたようです。
中でも名所とされたのは、品川、芝浦、高輪、佃島、深川洲崎などで、
旧暦三月上旬の大潮で潮が引くとどっと人が押し寄せたそうです。
 
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