庶民文学でもあった万葉集を紐解いても、なべて日本人は古来、様々な草花に親しみ、 ただ、野にあるものを観賞するだけに満足することなく、栽培して楽しむようになり、 そうした延長線上に、野菜の栽培も得意になっていったようです。殊に江戸時代は、家康の入府時には 20万ほどだった人口が、百年が過ぎた頃から当時世界最大の都市となり、 百万人を超えるようになりました。 その食生活を支える上で、米こそ市中の流通は豊富でしたが、野菜などの食べ物は、 江戸市中周辺の近郊農家に頼る他なかったようです。 幕府も早くから園芸による草花を愛でる文化を育成し、武家や寺社の広大な庭を利用した盆栽などを手掛け、 植木屋による品種改良(染井村のソメイヨシノなど)も盛んになり、武家や町屋の子女から遊女に 及ぶまで生け花を楽しむようになりました。 それは現代の華道と言うよりも、大衆的な遊びであり実用でもあり、長屋の軒先の朝顔や ヘチマの栽培も日常化しておりました。 朝顔や昼は錠おろす門の垣 松尾芭蕉 幕府は、農民を江戸近郊に呼び寄せるとともに、商品作物の栽培を許可し、野菜作りや 園芸・草花の栽培をも奨励しました。併せて、江戸の西側の武蔵野、北側の王子、 東側の葛飾・足立方面などの新田開発に力を入れ、特に深川の東側にあたる砂村新田は、 江戸初期からの埋め立てによる開拓が進められた場所であります。 江戸の具体的な野菜からは地名が、地名からは野菜が連想され、小松菜(小松川)、練馬大根、 ミョウガ(茗荷谷)、谷中ショウガ、千住ネギとナス、亀戸大根、砂村キュウリ、 滝野川ニンジンとゴボウ、田端白ウリなどは、長年に亘り人口に膾炙してきました。 もっとも、目黒のタケノコ、内藤カボチャ、品川カブ、羽田ナシ、雑司ヶ谷ナスなどは、 最近余り耳にしなくなったようです。 ところで、園芸と言えば大久保のツツジは、武家が18世紀中ごろに栽培を始め有名ですし、 当時の文化人たちが開いた向島百花園は新花屋敷と称され四季の花々が咲き乱れ、 今も観光名所となって居ります。さらに、江戸初期から現在に続く名園で“江戸百景”の一つが 堀切の菖蒲園でしょう。 「菖蒲」は漢字の読みでは「ショウブ」ですが、他に「アヤメ」とも読めるので、 これにカキツバタが加われば、話がややこしく、さらに難しくなります。 一般にショウブとは、端午の節句に風呂へ入れる別種(サトイモ科のあやめ草)のことですが、 別にアヤメ科で花を咲かせる種がありこれを「ハナショウブ」と言い、大きく優雅な赤紫色などの花が 咲きますが、この「花菖蒲」の発祥地が堀切で、元来江戸へ出荷する草花の生産地でした。 因みに、アヤメ科の花三種の違いは、花の大きさと花弁の模様の差で区別すると分かり易く、 アヤメ=小輪、網目模様、カキツバタ=中輪、白い目型模様、ハナショウブ=大輪、黄色の目型模様と、 覚えておくと便利です。 花菖蒲ゆれかはし風去りにけり 高野素十 よりそひて静なるかなかきつばた 高浜虚子 (広告)
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