ケン幸田の世事・雑学閑談(千思万考)
第八十五話:「花見の歴史と名所・向島の今昔」
2018/03/23
我が国の「花見」の起源とされるのは、奈良時代の貴族による“梅を愛でる”もので、 万葉集では「梅」を詠んだ歌が110首、当時から自生していた「桜」を詠んだのは43首に 過ぎませんでした。 ところが、平安時代になると、梅と桜が一挙に逆転しており、 確かに古今和歌集を紐解くと「桜」を詠ったのが70首、「梅」を詠んだのは 僅か18首と変じております。 平安時代に嵯峨天皇が催した「花宴の節」が切っ掛けとなり9世紀末までには「花見」と言えば、 ”桜を愛でる“ことで、文字通り「花は桜のみ」を言い、他の花の鑑賞に関しては、 梅見・観梅・菊見・藤見のように言う事が定着していったようです。 なお「さくら」の語源には、古事記に登場する女神「コノハナサクヤヒメ」に由来するという説と、 田の神様の宿る木の古語とする説があります。 木の下に襟こそばゆき桜かな 服部嵐雪 花に酔へり羽織着て刀指す女 松尾芭蕉 その後鎌倉、室町の武士たちも貴族の風習「花見の宴」を受け継ぎ、中でも豊臣秀吉による 吉野の桜見物と醍醐の花見などが歴史を飾っています。 花見が庶民へと広がったのは18世紀、八代将軍吉宗が隅田川土手に百本の桜を本格的植栽し、 並木の花見公園行楽を奨励したことが始まりだとされております。 何でも、人出を多くして堤を踏み固めることで、治水対策も兼ねた名案だったようで、 現在にもつながる花見の名所・向島となりました。 もっとも江戸時代にこの地名はなく、隅田川西岸の浅草側から東岸をみて向こう側と言う アバウトな地域を指す俗称で、勿論「島」でもなかったのに、島のように見えたので、 「向こう島」と呼び、昭和になって正式地名になったのだそうです。 尚、我が国伝統の花見の文化は、明治以降、海外へも普及して、近隣のアジア諸国は勿論、 米国・カナダの主要都市、パリ、ローマ、スエーデン、デンマーク、南半球でもブラジル、 ペルー、ボリビア、豪州等へ広まり、今や“Hanami”や”Sakura”が全世界で通用語になって居ります。 たらちねの花見の留守や時計見る 正岡子規 みな袖を胸にかさねし花見かな 中村草田男 当時から此の地区は、有名な寺社も多く、料理屋、和菓子屋、茶屋や出店が数多くあり、 遊びには事欠かないレジャーエリアだったので、羽振りのいい武士や商人だけでなく、 庶民も楽しめる行楽のメッカでした。 通常は昼の参拝と花見、飲食を楽しんだのですが、 地理的に新吉原にも近く、夜になると、舟を繰り出して吉原へ向かう際に夜桜見物としゃれこむ人も居り、 酒宴を楽しむ舟遊びの通人も多かったようです。 向島の三大和菓子は、桜餅、言問団子と草餅ですが、中でも最古で門前名物として著名なのが 江戸古地図にも出ている「長命寺のサクラモチ」で、墨堤(旧名・隅田川土手)の桜の葉を塩漬けにして、 三枚の葉で餡子入りの餅を平たく包んだものでした。 三つ食へば葉三片や桜餅 高浜虚子 とりわくるときの香もこそ桜餅 久保田万太郎 |
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