ケン幸田の世事・雑学閑談(千思万考)
第百十九話:「節分と恵方詣と恵方巻」
2021/01/31
旧暦では、節分の立春を新春・初春とし、新しい都市を良い年にしたいと願い、
厄除けや、来福を祈る節分行事が、色々あります。追儺(鬼やらい)は、元々節分前夜の大晦日の夜、
悪霊を追い払うため朝廷の年中行事だったものが、やがて社寺・民間へ広まったもので冬の季語とされます。この風習は、豆まきの伝統行事として定着しております。
さて一方で、愈々立春・元日を迎えると、歳徳神が、毎年干支によって決められる方角に宿り、
そこから人間世界を訪れるという信仰があり、その方角を恵方(吉方、兄方、得方、または明けの方)
といい、その方角にある社寺へ詣でて、一年の副を祈るのが恵方詣で、新年の季語とされております。
恵方道とは、その年その社寺へ向かう途中の道とも、歳徳神が来臨する道とも、言われます。
  
節分やよい巫女誉むる神楽堂    召波/春泥発句集
梅が香の誘ふ恵方や神参り     一音/千題集
線香を雪につつさす兄方かな     小林一茶
恵方とはこの道をただ進むこと    高浜虚子
行く水にわれも従ふ恵方道      中村汀女
 
新暦に馴染んだ現代人の節分行事に「恵方巻」を食べる年中行事がありますが、
これは季語ではなく、いずれ風習として定着すれば、“春の季語”にでもリストアップされるのでしょうか。
この起源・発祥は、幕末から明治初期にかけて、大阪船場で、商売繁盛、無病息災、家内安全を
願ったのがはじまりとか、戦国時代の武将が節分の日に新しい香の物を丸かじりして出陣したら
戦に勝ったので、以後瑞祥として商家から庶民にも広まったとか、諸説あるようですが、
中でも、商都大阪の鮨店組合による、大正末期から昭和初期の頃の大々的な広告宣伝に由来するとの説が
有力で、いずれにしても“恵方詣のお参り”に因んだ行事とされています。
戦前の昭和中期には、大阪の海苔問屋協同組合が、鮨組合と連携し、更なる販売促進策が、
行事普及を広めたようです。一説に、江戸で流行した土用の丑の日に鰻を食べるという風習に、
上方(京阪)として対抗する販売促進策として、一層力が入った宣伝活動に発展したとも伝えられています。
 
節分の夜に、恵方に向かって願い事を思い浮かべながら、太巻き鮨を丸かじりし、
言葉を発せず最後まで一気に食べると願い事が叶うといい、目を閉じて食べるとか、
笑いながら食べるとか、様々な言い伝えがあり、鮨も太巻き以外にも、中細巻とか手巻きもあって、
具にも、新香、椎茸、干瓢、高野豆腐、伊達巻、梅昆布、胡瓜や鰻、鰯まで、思い思いの趣向を凝らした、種々雑多な「幸運巻き寿司」があります。恵方巻食の風習は、戦後、経済成長後にマスメディアが
全国的に報じたので、一挙に全国レベルまで広まったようです。
                    
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