ケン幸田の世事・雑学閑談(千思万考)
第八十〇話:「大江戸歳末風景・餅つきのパフォーマンス」
2017/12/04
餅つきは、現代では町内のイベントの一つに過ぎませんが、江戸時代には正月の準備に
追われる人々には欠かせない暮らしの一大行事で、極めて当たり前の光景でした。
人手の多い大通りで、大きな釜や蒸籠(せいろ)まで路上において、餅をつくのは、
それがビジネスだったからです。「餅つき屋」なる職人が“営業していること”を知らしめるため、
往来に数多くの“仕事師”が出現する必要性があったという訳です。
主として、表通りに面している商家が、店先で景気づけに餅をつくという意味合いもあり、
パフォーマンス的要素の強い餅つきを「引きづり餅」と呼び、商家は餅米だけを用意し、
道具類一式は「餅つき屋」が持参したのです。
「餅つき屋」といっても、実際上、限られた期間の仕事であり、成立した職業というよりは、
餅屋や米屋の従業員が出張して請け負った仕事をこなしたようで、他にも商家に出入りする
鳶職人、左官、大工などもバイト仕事を引き受けたようです。
 
一般に餅を買い求めるには、15日までに餅屋(あるいは餅菓子屋)に前もって注文して
出前してもらうか、大口の場合は自宅まで、餅つきに出向いてもらうケースもあり、
これは「賃餅」と呼ばれました。
尤も、既述の「引きづり餅」の方が体裁も良く、所謂“粋で恰好良かった”ので、
派手な餅つき風景は、見栄っ張りだった江戸っ子が、当然ご祝儀をはずんだのでした。
餅は、武家も町民も正月の必需品であるばかりか、人々の大好物だったらしく、
餅屋は大繁盛しましたし、餅つき屋も年末のパートタイマーとして、
多額の臨時収入にありつけたようです。二人組の場合は、一人が杵を担ぎ、もう一人は
臼を担ぐ(又は転がす)といった風体で、注文によって移動を繰り返した訳ですが、
持ち込む道具によっては5~6人のグループで釜や蒸籠を携え、意気揚々と出向き、
きっぷのいいパフォーマンスを展開したのです。江戸八百八町は、あちこち杵の音が響き渡り、
賑やかな歳末風景を醸し出しました。
 
有明も三十日に近し餅の音 松尾芭蕉
我が門へ来さうにしたり配り餅 小林一茶
餅搗きし家ありすでに音ひそめ 山口誓子
 
「店中の尻で大家は餅をつき」は、江戸川柳の一句で、餅と糞尿には切っても切れない
密接な関係がある、即ち長屋の共同トイレの糞尿のおかげで、大家は長屋の住民(店子)に
餅をふるまうことが毎年恒例化していたことを物語っています。
当時、排泄物は貴重な肥料で、下肥として使うため、江戸近郊の農家が買い求め、代金は
農家から長屋の管理人・大家へ現金で支払われるか、農産物(年末なら、もち米)と
交換する場合もあり、実に無駄のない循環システムが出来上がっていました。
この代金で、大家は「餅つき屋」を頼むことが出来、店子は正月の必需品を手にすることで
長屋の連帯感も維持され“三方皆得”という、もう一つの「大江戸年末風俗」があったのです。 
 
 
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