ケン幸田の世事・雑学閑談(千思万考)
第一話:世界の文化遺産となった富士山
2013/07/03

 永らく連載されたケン幸田さんの「在外邦人の見た日本」「カナダ便り」 は帰国のため終了いたしました。 
数十年に及ぶ滞北米生活でしたが、様々な比較文化論、経済論、雑学は多くの読者の共鳴をよびました。                                                            現在はサーバートラブルによりアーカイブがご覧になれませんが、復旧しましたら、ホームページでご連絡いたします。
新連載として日本発の閑談を不定期でお送りいたします。



ご承知おきのように、今般の「富士山および三保の松原」は自然遺産としてではなく、「文化遺産」として登録されましたので、
富士講をはじめとする信仰の対象としての”霊山“であり、北斎や広重の版画が西欧の印象派絵画に与えた芸術的価値と、
万葉集に詠まれた和歌の文学的価値、そして羽衣伝説から、人名・社名・商品名、ひいては銭湯の壁画や各種商業写真等々に至るまで、
数多の文化的意義がユネスコの高い評価を受けたものと考えられます。
換言すれば、本来の意味である「観光」の対象として、富士山を捉えておくべきだと思います。
英語で”Sightseeing“という語を、通常”観光“と訳しておりますが、これは誤訳ではないかと言われています。
観光の「光」とは、”火が輝く様、威光、文化文物の崇高美“の意味ですから、この正確な英訳を試みるなら
”Observe into Cultural Virtue & Glory” というべきであって、 逆に“Sightseeing”は敢えて直訳するなら、
”名所見学“ないしは”物見遊山=風景拝見”といった程度であるべきではないでしょうか。
すなわち、富士山の宗教的な意義を鑑みると、ニーチェの「ツァラストラ(ゾロアスターのドイツ語表記)はかく語りき」に出てくる
ゾロアスター教の二神論の“善の神=火の神、光の神”こそ、観光対象、信仰対象の霊山といったイメージがぴったり来そうな気が致します。
 
 富士山の歴史は、文字通り日本の歴史と共にあり、13、600年前の大噴火の際流れ出た溶岩の先端部が冷えた処に、
およそ11,000年前、竪穴式住居跡が11戸分発見されており(大鹿窪遺跡)、およそ60人余の縄文人集落が有ったことが分かっています。
そして、縄文時代に遡る日本列島の自然は、ただ単に美しくすずやかにおさまっていたようではなかったのです。
それは、活火山として、恐るべき猛威を振るうやじゅのごとき存在だったと考えられます。
山部赤人の「田子の浦ゆ打ち出でてみれば真白にぞ、富士の高嶺に雪は降りける」は余りにも人口に膾炙しており、
さも高く尊い秀麗な富士の姿ばかりが想起されてきましたが、この部分はあくまでも反歌であって、
その前節には「渡る日の影も隠らひ、照る月の光も見えず」とあって、富士山の凄絶な大噴火の記憶が刻みつけられていたのです。
さらに、もう一人の万葉歌人・高橋虫麿の歌 「富士の高嶺は、天雲もはい行きはばかり 飛ぶ鳥も飛びも上らず、
燃ゆる火を 雪もち消ち 降る雪を 火もち消ちつつ 言いも得ず、、、」の方がさらに一目瞭然な記憶表現で、
山頂に燃え盛る火柱の林立模様が活写されているのです。
 専門家の説によると、富士の大噴火は三回あり、したがってその山容は「三階建て」になっているようです。
一階はほぼ 1188mで、およそ50万年前の噴火跡、二階はほぼ3000mで8万年前(これが古富士)に出来たもの、
そして三階が、3776m、これが既述の13,600年前の大噴火によるものとされています。
もちろん、それ以後も富士は噴火活動を続けたようで、特に縄文晩期の3000年前から平安前期の800年までの間は、
ほぼ百年周期で噴火が最も盛んであったそうです。こうして縄文人に発する体験と恐怖の意識が、万葉歌人たちにまで流れ続けられ、
点火増殖されたのではないかと言われているのです。
縄文人の神であった富士霊山への畏怖の感情が伝承されて行き、文字化され、万葉集に結実したと考えられるのです。
 
 その後の富士は、火山活動を次第に鎮静化させ、畏怖される山から、賛美される山へと変化し、古今集から新古今集にかけては、
「富士山の矮小化」が進行し、業平、西行、芭蕉、蕪村、一茶も、その凡庸な伝承の流れに乗っていき、自然の慈母化がもたらされたようです。
もっとも、北斎のみは例外的で、縄文時代に充てんされた不気味なエネルギーを壮大な存在感で描ききっているのです。
やはり、富士の山は、新幹線の窓から横ざまに眺めたり、航空機の窓から眼下に見下ろすものではなく、
やはり北斎の目線を追って、その特異な姿に接したければ、箱根八里を這いずり歩く他なさそうです。
 富士山の恵みは、良質大量の水資源です。
この山には、不思議と雪解け水が下る河川がありませんが、溶岩層と割れ目、くぼみを石器として、深く潜って流れる伏流水が、
白糸の滝となり、あるいは湧水となって、ふもとの湖や平野部を流れる川底や駿河湾の海底にまで噴出し続けてくれるのです。
その恩恵を受ける静岡が、ワサビをはじめ、野菜果物の名産地であること、山梨がブドウや桃の名産地であることが、よく理解できるわけです。
江戸時代の町人信仰は、8百もの富士講(登山旅費の積み立て)を生み、登山の叶わない貧民には、
富士塚(登山者が持ち帰った溶岩を積み上げた)から、遠く富士を臨んで礼拝する風習も広まって行ったようです。
今でも、東京都内に80か所もの塚が残されているようです。
 
 
 
 

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